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犯罪学の理論展開と現代的課題

犯罪学の理論展開と現代的課題


1.序
 「最良の刑事政策とは最良の社会政策である」とはドイツの刑法学者で近代学派を完成させたフランツ・フォン・リストの言葉であるが、社会というものが人々の生命・財産を守り秩序を提供するために存在するという見方(社会契約説)に立てば、未だ犯罪が根絶されていない以上、現代においてもリストの言葉の意義は変わらないように思われる。ただし、刑事政策とは狭義には刑罰(とそれによる再犯防止)を対象とした領域を指し、日本では伝統的に刑事政策を規範学とし犯罪学を事実学とした上で後者は前者の下位に位置づけられてきたところであるが(1) 、当然ながら犯罪は事後的に処罰するよりも事前に予防した方が良い(2) 。そのため、ここでは狭義の刑事政策ではなく犯罪学を中心に据えた上で、その展開を概観しつつ現代日本社会の犯罪を前にした課題についても検討することとしたい。


2.犯罪学の理論展開
 犯罪学(criminology)とは広辞苑によれば「犯罪の原因やその遂行過程についての法則性の発見、犯罪抑止についての施策を対象とする学問」とされる。また、日本における犯罪学に関する代表的著作群である『日本の犯罪学』シリーズ(東京大学出版会)では「原因」と「対策」の二つの構成から組み立てられている。これらから、犯罪学がおおよそ、犯罪の原因を探る分野と犯罪を防ぐ分野に区分できることが分かる(後者は「防犯」と言ってもいいだろう)。もっとも、両者は相互に関係するものであり、また、学問上も少なく見積もっても社会学・心理学・法学が絡み合う分野であり、犯罪学に確定的な定義を与えることは難しい。
 しかしながら、厳格な定義が難しいとはいえ、犯罪学の「軸」となる考え方はいくつか提示できる。第一に、犯罪は犯罪者の自由意思に基づくものか否かという点が挙げられる。これを肯定するのが古典学派であり、否定するのが実証学派である。古典学派は啓蒙期を背景に科学的な人間観に立った上で、刑罰による害悪を犯罪による利得よりも大きくすれば合理的な人間は損得勘定の結果、犯罪を選択しないと主張した(合理的選択論)。これに対して実証学派はこのような合理的人間観に疑問を呈しつつ、古典学派のように理論から演繹的に考えるのではなく実際の犯罪に対して実証的なアプローチから犯罪の原因を探ることを主張した。実証学派の考え方の背景には、犯罪者は犯罪をするように運命づけられているのであって、犯罪を防ぐにはこのような犯罪者を「改善」しなければならないという決定論の思想があった。
 第二の軸として、犯罪者(人)に着目するか犯罪環境(物)に着目するかという点が挙げられる。第一の軸が前者の犯罪者に着目するのであったのに対して、後者は「環境犯罪学」として1970年代以降に急速に発達してきた。環境犯罪学とは「物理的な環境を操作・改善して、犯罪機会を除去し、よって犯罪予防を果たす」学問とされ(3) 、また「地域安全マップ」の考案者でもある立正大学の小宮教授は「犯罪原因論」と「犯罪機会論」を対置した上で、犯罪機会論は「『事後(刑罰)から事前(予防)へ』『人から場所へ』というパラダイムシフト(発想の転換)であった」としている (4)。
 犯罪学はこれらの二つの軸でそれぞれ対置されている考えを択一的なものとはせず、それぞれの良いところを車の両輪のように取り入れながら理論を発展させてきた。例えば、古典学派の主張する自由意思という考え方は一部修正されながら新古典学派として現代にも受け継がれており、さらには合理的選択理論は環境犯罪学とも結合している。また、実証学派のアプローチは昨今日本の行政分野でも重要性が強調されている「証拠に基づく政策立案」(EBPM、Evidence-based Policymaking)(5) の先駆けとも言えるだろう(図1参照)。その中でも、前述の「犯罪は事後的に処罰するよりも事前に予防した方が良い」という考え方と「場所の特徴は見ただけで分かるが、人間の特徴(=心の中)は見ただけでは分からない」(6) という考え方からすると、犯罪機会論・環境犯罪学の考え方に沿った政策の重要性は一層増していくと思われる。

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3.環境犯罪学の意義
 前述のとおり、環境犯罪学は人ではなく犯罪空間という環境に着目し、事前介入による犯罪の予防を基本とする体系である。類似の概念としては、「合理的選択理論」「日常活動理論」「犯罪パターン理論」「CPTED(環境設計による犯罪予防)」等があるが、いずれにも共通するポイントは犯罪機会をいかに減らすかという点にあると言える。そしてここで重要なことは、領域性(入りにくさ)と監視性(見えやすさ)を高めることである(7) 。
 具体的な例としては、玄関の鍵を増やす(入りにくくして領域性を高める)、公園を囲む植木の高さを低くする(周囲から見えやすくして監視性を高める)といったものが挙げられる。また、実施者がこれを意識していない(他の目的で実施している)場合でも結果的に環境犯罪学の狙いを達成している例もある。鉄道の自動改札機の導入によるキセル防止や小型商品をレジ近くに陳列することによる万引き防止といったものである(8) 。
 他方、環境犯罪学の考え方に対しては批判もある。例えば、人に着目しないので根本的な解決にならないこと、環境といった物理面に着目するため規範的な解決に結びつかないことなどが挙げられ、具体的な批判としては犯罪者のその地域での犯罪は防げても、別の地域での犯罪を誘発することになるのではないかという指摘がある(犯罪の転移)。
 しかしながら、筆者はこれらの批判はいずれも死活的でないと評価している。なぜなら、これらの批判も「その時、その場所での犯罪は予防されている」ということを前提としており、犯罪学の実践的価値としてはこれで十分すぎるほど大きな価値を持っていると言えるからである。その先に、別の地域での予防や規範面の教育といった根本的治療が必要なことはそのとおりであるが、環境犯罪学もそれ一つだけで全てを解決できるとはしていないのである。また、環境(物)に対するアプローチであるが故に、その影響・効果の測定が容易であり防犯政策の参考にしやすいことも利点として挙げられよう(対照実験、比較実験が容易。EBPMと整合的)。この利点を活かして政策立案するためには、犯罪に関する統計情報をはじめとする諸情報がしっかりと開示されていることが必要であり、警察庁・法務省・総務省統計局といった行政機関と国会議員やそれを支えるスタッフ(含む衆参法制局)との間で密に連携が取られることが求められる(9) 。
 もっとも、環境犯罪学にも固有の限界があると考える。次項ではその点について確認した上で本稿をまとめたい。


4.現代的課題-新たな犯罪への対応-
 犯罪者はいつの時代も新たな手口を考え、自己の欲望を満たそうとする。現代日本においてもそれは同様であり、近年もっとも注目を浴びたのは「オレオレ詐欺」であろう。これは現在ではその他の詐欺類型と合わせて特殊詐欺と言われているものであるが、犯人は不特定多数に対して実際には対面しない形で犯行が行われることが特徴である。また、IT社会が発展するに伴いサイバー犯罪といった新たな類型も登場した。環境犯罪学では犯罪が起こる周囲の物理的な環境に着目するが、これらの犯罪では犯人が自宅等に留まったまま犯行に着手できるので、あまり効果は期待できない。そのほかに、従来は「法は家庭に入らず」とされてきたが今日の社会通念からは注目されている家庭内暴力・児童虐待についても、家庭という密室内での犯行であり(かといって監視性を高めるために家庭を「公開」することもできない)、犯罪環境学に基づく対策は難しいであろう。
 また、環境犯罪学が古典学派の合理的選択論の流れを汲んでいることは前述のとおりであるが、犯罪成功率の低さを気にしない(非合理的選択)犯人に対してはこれもまた犯罪環境学では対応が難しいところである。このように環境犯罪学にも固有の限界があるのである。
 ではどうすべきか。
 筆者は環境犯罪学が前提としたコンセプトを重視しつつ他分野の知見を取り込むことで、新たな課題に対する有効な防犯政策を打ち出すことは可能であると考える。コンセプトとは事前予防である。やはり事後的な処罰では被害回復が困難であり、犯行そのものを断念(あるいは失敗)させることを引き続き中核に据えて検討すべきである。ところで、この「犯行そのものを断念(あるいは失敗)させる」というものの「犯行」を「侵略」ないし「武力攻撃」に置き換えれば、安全保障における「抑止」の観念と近いことが分かるだろう。断念されるものは懲罰的抑止に、失敗させるものは拒否的抑止に近い (10)。もちろん、サイバー空間が軍事・犯罪双方に関わる空間であることは言うまでもないだろう。このように防犯は軍事と類似するところがあるにもかかわらず(11) 、これまでの犯罪理論は必ずしも安全保障理論を意識してこなかった。防犯政策の立案に際しては、第一にこの両者を相互に参照することが有用である(12) 。
 次に犯罪者が合理的な選択をするとは限らないという点は非常に悩ましいものに思われる。なぜなら、犯罪対策はもちろん政策というものは合理的な判断の積み重ねで設計されるからである。しかしながらこの点についても参照すべき分野がある。行動経済学である。従来の経済学は損得勘定(経済合理性)によって行動が決定される「経済人(homo economicus)」を前提として理論が構築されてきたが、近年では人間の行動はそれほど合理的でないということを前提に心理学の成果や実証実験の結果などを取り込みながら新たな理論構築が試みられており、行動経済学という分野を確立させた。犯罪者にも色々なタイプがおり、合理性を重視する者(トータルでの損得勘定)も短期的な利得を重視する者もいるだろう。後者のタイプがいるからといって即ち環境犯罪学が無力になるわけではなく、行動経済学のように実証分析に基づいて理論を再構築して対応することは十分可能であるように思われる。
 以上、ここまで理論分析を中心に防犯政策にとって鍵となる考え方とその限界について検討したが、身近な課題である防犯について国民一人ひとりのレベルでも議論が深まることを期待する。 

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(1) 守山正・小林寿一『ビギナーズ犯罪学』(成文堂、2016年)3頁。
(2) 古典派刑法学の祖であるベッカリーアはその代表的著作『犯罪と刑罰』において「犯罪予防こそが、あらゆる優れた立法の主要目的である」としている。チェーザレ・ベッカリーア(小谷眞男訳)『犯罪と刑罰』(東京大学出版会、2011年)142頁。
(3) 前掲注1『ビギナーズ犯罪学』153頁。
(4) 小宮信夫『犯罪は予測できる』(新潮社、2013年)148頁。
(5)平成31年度予算編成の基本方針(平成30年12月7日閣議決定)では、「各府省は、全ての歳出分野において行政事業レビューを徹底的に実施するとともに、証拠に基づく政策立案(EBPM、Evidence-based Policymaking)を推進し、予算の質の向上と効果の検証に取り組む」とされている。また、EBPM推進体制の構築のため、平成30年度に各府省に総括審議官級の機構・定員が設置された(内閣人事局「平成30年度 機構・定員等審査結果(概要)」)。
(6) 前掲注4『犯罪は予測できる』175頁。
(7) 「防御しうる空間」概念を提唱したオスカー・ニューマンは「領域性」「監視性」に加えて「イメージ」「環境」が重要であると主張した。
(8) 前掲注1『ビギナーズ犯罪学』155頁。
(9) 河合幹雄『安全神話崩壊のパラドックス』(岩波書店、2004年)は、人々の不安感の増大が根拠のないものであることを、実際の統計推移と統計作成時の「カラクリ」を示すことで説明している。
(10) 懲罰的抑止とは、耐えがたい打撃を加える威嚇に基づき、敵のコスト計算に働きかけて攻撃を断念させるものであり、拒否的抑止とは、特定の攻撃的行動を物理的に阻止する能力に基づき、敵の目標達成可能性に関する計算に働きかけて攻撃を断念させるものである。(平成22年度版防衛白書)
(11) 前掲注9『安全神話崩壊のパラドックス』149頁以下では、戦争と犯罪の連続性を指摘している。
(12) 両者の関係は他にも、テロには軍事的側面と犯罪的側面があることや、武力攻撃未満の「グレーゾーンの事態」と犯罪未満の「秩序違反行為(disorder)」「反社会的行動(anti-social behavior)」という概念の類似性を挙げることができる。

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